「お湯をいただく」という言葉があるとおり日本には銭湯を代表とする、お風呂を提供してもらう文化が根付いていますが、この「いただく」という言葉は食事の前に使う「いただきます」と同じで、薪集めから始まり、薪割り、風呂掃除、水汲み、湯沸しに至るまでの大変な労力をかけて作った大切なお湯を貰いますよ、という意味合いだと私は思っています。

実際、銭湯などでは帰り際に番頭さんに「ごちそうさま」と言って帰られるお客さんもいると聞いたことがあります。

私の田舎は農村部なので銭湯などは無かったのですが、昔は農繁期に村人共同で農作業をしていたこともあり、大変手間の掛かる風呂の準備もその期間中は持ち回りでやっていたと近所のお婆さんから聞いたことがありました。

なぜそんな話をしてもらったかというと、私が小学生の頃に実家が火事で焼け半年もの間、風呂無しの生活をする羽目になり、ご近所のお風呂を渡り歩いたことがあるからです。

ちなみに、この火事は私が風呂焚きをしていて早く遊びに行きたいがために目いっぱい薪をくべたことが原因かどうかは分かりませんが煙突の加熱によるものでした。

その頃は、まだ私も子供だったので「お風呂をいただく」感謝の気持ちというよりは、幼馴染の女の子や憧れのお姉さんが毎日裸になっている空間を共有しているというドキドキ感(もちろん共有したのは空間だけで時間までは・・・ナイショ)と、ほんの少しの肩身の狭い思いがあっただけでしたが今思えば大変貴重な思い出です。

そんなこともあり他所でのお風呂の記憶は何かにつけて鮮明に覚えているものですが、他の人のブログでも「田舎のお婆ちゃん家のお風呂を思い出す」なんて表現をよく目にするので一般的にも少なからず特別な思いをもっている方がいるのは間違いなさそうです。

私にとっての「田舎のお婆ちゃん家のお風呂」は年に1、2度訪れる母方の実家で、本当に郷愁を絵に描いたような建物でした。

典型的な昔の農家で茅葺屋根の大きな母屋の横に簡単な屋根が渡してあるだけの土間を挟んで風呂小屋があり水汲みがしやすいように隣に井戸もありました。

冬などはお風呂に入るのに1度、吹きっさらしの土間を通らなければならない上に脱衣所には暖房器具など無く決して快適とはいえない造りでしたが、裸電球の下に浮かびあがる薪で焚かれた五右衛門風呂の蓋を開けると一斉に立ち上る湯気、木の板が張られた天井からは湯気が水滴となって湯船に一定間隔で波紋をつくる様子を鮮明に思い出すことが出来ます。

今思えば、この風呂小屋は母屋から離れているために人に提供しやすく、借りる側にも優しい造りといえるので農村部での「お湯をいただく」文化の一端を担ったのかもしれませんね。

それと万が一火事になっても母屋と切り離されているので安全対策にもなりますしね。

ちなみに、この家には牛小屋を兼ねた大きな納屋も横にあり、実際に立派な角をした黒い牛を飼っていて厠は納屋正面部分にあり母屋の玄関を出て行かなければならず、夜は怖くてとても1人で用を足せなかったものでした。

この風呂小屋も私が中学生になる頃には道路拡張のために取り壊しが決まり、その頃には祖母が1人暮らすだけになっていたので、いっそのこと売った土地のお金で母屋ごと暮らしやすい近代住宅に建替えてしまうことになりました。

個人的には大反対でしたが老人が1人で暮らすには不便な建物だということも理解できたので、あえて口にするようなことはしませんでしたが、今でも思い出すたびに切なさが込み上げてきます。

かくいう私も家を建てるにあたり機能や効率を優先して、迷うことなくユニットバスを選んだ1人なので偉そうなことは言えませんが、もし風呂小屋が残っていたらいつまでも残してほしいものです。

今となっては昔のように個人宅の「お湯をいただく」経験をすることは少なくなってしまいましたが、せめて銭湯や共同浴場を利用する場合には、「お湯をいただきます」という気持ちと利用後に「いいお湯でした」の一声くらいは掛けたいものですよね。


自宅のお風呂(ガチガチのユニットバスだけど誰かいただいてくれる人募集中)
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